画像は、昨日からのパクチー
さっそく、今日のタイトル。
ヒッピーはだあれ? そもそもヒッピーって?
いま文字を打っているパソコンの国語辞典では
「自然への回帰を主張し,伝統制度など既成の価値観にしばられた社会生活を否定する若者。
1960年代後半にアメリカで生まれ,世界中に流行した。」とある
自分が思うヒッピーって
自給自足に近い循環型の生活を送っているひと、もしくわ、それを目指すひと。
と、いつの間にか固定観念をつくっていた。
これはあくまでも自分が思う「理想の」ヒッピーであって
ヒッピーが必ずしも、そうでなくてもよいことに気づいたのが3け月くらい前
実際にそういう生活をしているひとで
自分のことをヒッピーとはおもっていないひともいるだろうし、、、
フォークミュージックが好きでヒッピー
サイケデリックアートが好きでヒッピー
旅することが好きでヒッピー、、、とか
ヒッピーにもいろんなひとがいて当然か、と。
なぜ、自分が意味のない固定観念を作っていたのかも
間違えに気づいてからすぐにわかりました w
ここ20年ほど ( ながいなぁ )、
初対面で自分のことをヒッピーとして接してくるひとが結構いることに、
自分でも驚いていたのですが、、、
自分は自分のことをヒッピーと思ってはいないので
「なんでだろう?」といつも思っていました
いかにもヒッピー風なアイテムを身につけることはほとんどなくて
どちらかといえば、「さっきまで工場で働いてました」
そんな格好をしていても、ヒッピーと思われるふしぎ。
しいていえば、着こなしは、どこかルーズ
あるひとに言わせたら、どこかだらしない、、、
そんなかんじ「も」好きだったりするからかな?なんておもっていた
ようするに、自分がヒッピーでないことを示すために
自分が定めたヒッピーの定義が冒頭に示したもの、ということであった。
あらためて、ヒッピーの中にも多様性があることに気づいてみて
自分の中に、いわゆるヒッピー的な何かがあって
それが無意識のうちに醸し出されていて
他者はそれを嗅ぎとっている、と認識しました。
ヒッピー的な何か、それがなんなのか?
それは、自分がよくわかっているのですが
それはそれで長くなるので、いつかまたの機会に
この事実を受け入れることで、楽になるのは案外自分かもしれない
ということを、この文章を書いている今、思いました。w
それほどストレスに感じていたつもりはないのだけど
ときおり、気になることの一つであったことは確かなんだよな
あえていってみるのもいいかもしれない
I am a hippie.