チェンマイでの生活もちょうど2.5年を経過。
ここひと月ほどで
こちらでのライフスタイルも激変中ではあるのですが、、、
布の上に柄をおくことと、
印刷物などのグラフィック活動の2本立て。
技法的に違いはあるけど
日本にいたころと
やっていることはには大差はない、
自分的には。。。
FBで投稿もしていますが
ひと月ほど前に
バンコクでDJをしている
mAsa niwayamaのコンパイルしたCD用の
イラストを描いた。
お題は『オリエンタル』
オリエンタルという言葉はもちろん知っていたが
あまり深く考えたことがなかった。
自分にとってのタイでの暮らしは、
トロピカルとかエキゾチックという
いままで自分が聞いてきた音楽からのキーワードを
意識することは日常的なことだったけど
オリエンタルということばを意識することはなかった。
オリエンタルってなんだろう?
直訳すれば東洋的、東洋風ということ。
wikiで見てみても、
西洋との対立概念であることはたしかであるが
どこからみるかで
その意味は違ってくるようだ。
日本からみた東洋
タイからみた東洋
どちらが正解というわけでもないとおもい
自分なりのオリエンタルを考えてみることにした。
裏を返せば、西洋との違いを考えることでもある。
自分にとって日本以外で滞在時間の長いアジアというのは
バリ島とチェンマイ。
どちらも宗教が生活に密着している。
そんなこともあるのだろう。
あくまでもイメージであり、
すごく漠然としているものの
死に対するイメージのあり方がポイントなのでは?
という考えに至った。
人間には死というものがいつか来る、
ということをはじめて知ったのは3歳の時。
当時は、それがどういうことなのかよくわからなかったけど
42年という歳月の間に
それについてイメージすることは幾度となくあった。
死について考えるということは
生について考えることでもあり
20代後半には
自分にとって死というものが
ネガティブなものではなくなっていたと思う。
と同時に、いろんな体験を通して
意識の世界というものがあることを
強く感じるようになっていた。
単純な思い込みともいえるけど
意識の世界と死後の世界というものは
すごく近いものなのでは?とも感じるようになった。
イメージとしては
どちらもはエネルギーのせかいであり
とても電気的な世界なんじゃないかなと。。。
電気というと、電化製品を機能させるための
エネルギーというイメージしかもたない人もいると思うけど
人間のからだ、もちろん他の動物も
そういうエネルギーのながれがあって機能しているとおもうので
その辺を意識したことのない人にとって
なにを言ってるのかさっぱりわからないかもしれないけど。。。
そもそも、人間のからだ自体
デジタル以上に正確に、
機械以上に機械的なバランスで成り立っているとも思う。
細かい話しをするときりがないので
このへんにしておくけど、
そんなイメージで描いたものが、これです。
生のイメージは日常的なものとして、
タイでの暮らしで印象的な事柄の中から
手植えで田植えをする風景、
サムローで移動する様子。
死のイメージとして、なにか電気的な世界。
そしてその狭間にブッダの涅槃像。
あくまでも、自分が持っているイメージを
組み立てただけなので
これが正しいかどうかもわからないけど
世界中にとっ散らかってる様々な問題を越えたところで
生と死について考える時間があってもいいじゃないか、
そんなところです。
死をテーマにした曲 ?
"DEATH" でPCのiTunesで検索したら8曲ありました。
その中から一曲。
これも、日本を出る前によく聴いていた曲です。