20170202

リアル・ヴィレッジとフレットレス

今自分が住んでいる海沿いの町から車で15分くらいの集落にいってきました。
海と山が近い地域なので、そこはじゅうぶんすぎるくらい山の上で
ひとことでいえば別世界。
そんな何てことはない集落に友達夫婦が住んでいる。
引っ越してから、一年と少しとのこと。
先週につづいて2回目のリアル・ヴィレッジ訪問。

10数軒の集落で、周りはもともとその土地に住んでいる人たち。
いわゆる限界集落。
友人の住居がある敷地からは畑がつながっていて
とても豊かさを感じられる場所。
敷地の脇の道は100mもいけば、人が歩くだけの道幅になり、山のなかに続いていく。
山道っていうのかな?

そんな山道を少し散歩しながら案内してもらいました。
子供の頃は、裏山で遊んだり祖父母の山の畑にいくことも頻繁にあったので
当たりまえに歩いていた山道をひさしぶりに歩きました。
山の形をいかして、畑をつくり
その地形をいかしながら山道ができている(とおもわれる)。
崩れそうなところには石を積んで道を使いやすように工夫して
そこに暮らす人たちが山を敬い山と共存していた時代を感じさせられた。
感動というより、ちょっとした衝撃でした。

自分たちの生活を便利にしてきたテクノロジーもすごいとは思う。
当たり前に使って恩恵を受けていると同時に
その多くはどこか離れた自分からは見えない場所で失っているものがあると感じる。
そのギャップをたいていはお金というツールで埋め合わせているようにもみえる。
かりに失ったものを取りもどすエネルギーを想像すると
いわゆる現代的な生活というものは多くの難題を生んでいるともいえる。

言葉にすれば、ずいぶん前から気づいていたはなしでもあるのだけど。。。
友達は、集落自体を維持していくためには、知恵や技術も必要だし
人材が足り無くなるのは時間の問題と言っていた。
日本のいろんなところから聞こえてくるはなしでもあるけど
そこをクリアすることが未来をつくることなのだな、とあらためて感じました。

画像は、最近頂いた中古のベースを
フレットを外してあり合わせの材料でボディをつけたもの。
ピックアップをつけなくても、そこそこ鳴ったらいいなと改造してみたものの
そんなに甘くはなかった。
ということで、もともと2個付いていたピックアップのうちの一つだけつけた状態。
弦高がけっこう高いので調整をしたほうが使いやすいけど
ウッドベースへの欲求はかなり解消されたと感じている。
フレットレスへの欲求が大きかったようです。

改造に使った材料の材質的に限界はあると思うけど当面は使えそうでうれしい。