20160829

卒業制作、進行中


現在制作中の作品がチェンマイ滞在期間の最後の作品になるわけで、、、

つい2週間前には、チェンマイ生活に区切りをつけることなんて
これっぽっちも考えていなかったのだけど。。。
次のビザを取るために、一時帰国を考えていましたが、
日本からタイに戻っても、そこから数ヶ月先のことを思うと
同じ問題を考え続けなければならないこと。

宇宙経済学の動画を見て、そんな風に思っている人がいるなら
日本にいることもいいんじゃなかと思えたこと。

このふたつが、区切りをつけるきっかけでした。
実際、作業台の上にはタイに来てから作ってきたものとは
表面的にはいままでと違うベクトルにみえる作品が進行している。
それ自体が、いままでと違う一歩を自分の気持ちより先に
行動として踏み出しているようにも見えてきます。

そうおもうと、ここ数ヶ月緩やかに進めている
日本での作品の展示に関すること自体がこの流れのなかにあるようにも感じられたり
さらに言ってしまえば、
東京で作品を展示したいとおもうきっかけになった友人とのやりとりは、
未来の東京のイメージのラフスケッチをしながらでした。
そのときから、このストーリーは出来上がっていたのかもしれない。

まあ、後付けの理屈なんてどうにでもなるものだけど
潜在意識とか深層心理というものへの興味が以前より強くなっていることもあるわけで、、、
なにかについて、考えようと思ったとき
答えはすでに目の前に展開されていることが増えているようにかんじます。
特にここ1年くらい以前より強く感じるような気がします。
見方とか解釈の仕方しだいとも言える、流れという言い方もできます。



というわけで現在、卒業制作
少し前の投稿で書いた、一時停止していたもう一つのアリス、進行中です。

荷物の片付けの時間も考えるとけっこうギリギリな気もするけど
わがままにやりたいことをさせていただいている
宇宙とそこに生息する生き物たち、存在する全ての物質に感謝しながら
仕上げていきたいと思います。












20160826

20160823

アリスのバンダナ

昨日からバンダナに柄を置いている。
面積は手ぬぐいとほとんど変わらないけど、正方形が新鮮。

今回は、あらかじめバンダナの完成イメージをデザインをして
必要な型を彫る、という準備をした。

メインのモチーフ(不思議な国のアリス)にシナモンとカルダモン
背景的なもの、さらにフレームとしてペイズリー
そこに、今まで作ってきた型を混ぜられるような設計にした。

実際には、引き算、つまり完成形に必要なすべての型を使わなくても
バンダナのデザインとしては成立することもできるし
手持ちの型の中からのミックスもするので
いろんなヴァージョンが出来上がることになる。

不思議の国のアリスってしばしば、あれはアシッドだねと言われるくらいぶっ飛んでいるけど
単純に夢の中のお話し、とも捉えられると思うので
顕在意識と潜在意識のはざまに生息しているシナモンとカルダモンとの相性はいいかんじ。

あらためてディズニー版アニメーションの不思議の国のアリスを見た、約40年ぶり。
小学校1年生か2年生の時にみて映画館から途中退場したいくらい怖かった記憶があるけど
今見ても、二つほど怖いシーンがあった、、、正確には不快といった方がいいかな?w
それとは別に、最後のトランプがでてきてからはだんだん退屈になってきて
最後はどーでもよくなる、というのも子供の頃と同じく感じました。w

一番好きなシーンをメインのモチーフに
出てくるキャラで一番好きなキャラを入れて
二番目に好きなキャラはシナモンにかぶせて
一番印象深いシーンをカルダモンにかぶせてみました。

実際には2型デザインして、ひとつはデザインのみで一時停止中。

そのうちなんかしら画像を載せると思います。




20160819

なんでもシチュー



シチューが大好きです。
自炊でつくる汁物は、味噌汁とシチューで98%ぐらいいきます。
自炊のシチューは、色も味も決まりがないので
とろみがある汁物をシチューと呼んでいます。
なので、自炊ではカレーもシチューに分類しています。

2週間ほど前に、チェンマイでつくられている八丁味噌を入手してからはまっています。
みそ味のシチューの基本形は、鍋で生姜と玉ねぎを油で炒めて
いいところで水を足してグツグツしたら
味噌を加えて、とろみを足したい時は
最近はもち米粉を使っています。
それ以外に具や甘みを足したければ途中で足します。

八丁味噌、たまに食べたく思うことはあったけど
久しぶりに食べて、やっぱりこれこれ、といいった感じです。w
味噌汁で食べてもおいしいけど、なにかとよく絡むシチューだと
ごはん以外にもパスタでもパンでもいけるのが好きです。

ちなみに、チェンマイ産の八丁味噌は日本の味と近いと思います。
柔らかいので日本のものより使いやすいです。

基本、米麹みそと合わせて使っています。
スーパーで売られている米麹みそは発酵があさいので
タッパーに移し替えて一ヶ月くらいすると
美味しくなります、色も濃くなりますが。。。
なので、チェンマイに住んでいる人は
一袋余分に買ってタッパーに移して常温でストックしておくと
使い始めるころには美味しくなっているのでオススメです。
冷蔵庫は使ったことがないのでわからないけど
多分、発酵が進まないと思います。

よこみちに逸れましたが、みそのシチュー。
昨日、きゅうりを多めにいただいたので
きゅうりの細切りにかけて食べました。
マヨネーズに近い味のシチューに感じました。

基本的にみそはチーズ味、油を加えるとマヨネーズ味と考えています。w
チーズもいろいろだけど。

20160817

IDE-USB変換ケーブル



このブログ、テンプレートを変えてから
どの投稿が何月何日のものかわからくなっているけど、
2週間ほど前に使えなくなったラップトップからHDDを再利用のため外しました

しばらく放置してありましたが、今日ケーブルを探しに行ったところ
ありました。IDE-USB変換ケーブル、200バーツ、600円くらい。
外部入力用の電源ケーブルもセットで箱に入っていたけど
普通にケーブルだけ売ってくれました。
2.5インチHDDは、消費電力が少ないので
USBから供給される電源でOKらしい。

動作確認しかしてないので、使ってみて不都合が生じるかもしれませんが、、、
なんせ、基板がむき出しなので。。。
とりあえず、気が済みました。

使わなくなったPC、どう処分するかいろいろだけど
使えるものは使いたいですね。




20160816

世の中にかんして「なんで?」がいっぱいの人は観るといいかも。

世の中が庶民と支配者層にわかれている、
ということは多くの人がわかることだと思う。
一方、支配者層の思考回路というかメンタリティは、
多くの庶民は理解に苦しむところだともおもう。
自分もその一人だった。

自分たちというか、自分たちの意識が
現実といわれているものをつくっている、
ということもよく言われる。
たいていは、集合意識が社会を形成している、
といういいまわしが使われるともおもう。

ここまでの9行を書いただけで、
行間には陰謀論にまつわる話やスピリチュアルでくくられる話が
含まれていることを示している、と言ってもいいわけだけど。。。
陰謀論もスピリチュアルもほんとのこともそうでないことも
まぜこぜに存在していることでさらなる分離や対立が
助長されるともいえるわけで。。。

最近、興味深い動画を見ました。
動画を作成した本人もいっているけど
その内容が全て本当かどうかは各自考察してください、と。
40〜60分程度の動画が6本。
無料登録をすると、だいたい1日1本のペースで
動画が存在するURLが送られてきた。

陰謀論にまつわる話やスピリチュアルに関しては
押し付けがましいことは言ってないのでだれでも観れる内容だと思うけど
ある程度、そのようなものを読み慣れている方が理解はしやすいのかな?とも思う。

個人的には、集合意識というものの認識をまったく改められました。
なんで、そんなことに気づかなかったのか、、、
盲点をつかれたというのが、まず、一つ目の感想。w
社会の構造に関しても、いままで不明瞭だった部分の霞が祓われた感じ。
人間の体の秘密に関しても、詳細までは語られていない気もしますが
感じている人も多いはず、と思いたい話。

世の中にかんして、「なんで?」がいっぱいの人は観るといいかも。
4半世紀にわたる謎が解かれた感じ。。。
そこから、どう歩んでいくかは自分次第、ということなのだけど。。。

ここから数ヶ月は、自分にとっては将来のことを考えるうえで
いろいろなことが起きるであろう時間になるとおもう。
そのタイミングで、この動画を見たことは少なからず影響を与えると思う。

そんな動画はこちらから

20160814

ペイズリー

初めてペイズリー柄を描きました、
というより、描いてみたというほうが正確かな?
そもそもペイズリーって、、、定義がはっきりしているわけでもなさそうだし。

ペイズリーという言葉を初めて知ったのは高校生のころ。
当時のファッション雑誌には、生地の名前とか柄の名前とか
その他もろもろのファッション用語を解説するミニ用語辞典のようなものがよく掲載されていた。
何が書かれていたのか覚えていない、、、
ペルシア、という単語があったような曖昧な記憶
あらためて、調べようと思っても諸説あるらしくはっきりしたことはわからない。
勾玉のようなかたち自体もどこが起源かはっきりさせることは難しいだろうし
アレンジされることで常にアップデートされている柄、という気もする。

充分クセのある柄なのに時代を超えて、常に存在している気がするのは
この勾玉のようなカタチとかフラクタル感に人は惹きつけられるのかな?

ちなみにペイズリーという言葉自体は、スコットランドの地名とのこと。

ここ数年では、タイらしいもの以外をモチーフにするのは珍しいけど
今回はフレームとして使いやすい並びでデザインしたので
何かと使えると思う。

4版で作りました。


20160811

ポストカードについて と ラフスケッチ

二つ前の投稿でポストカードのサムネイルを見れるページを作りました。
いざ作り始めると欲が出るといったらいいのか、
もっと増やしたくなってきます。w

身の回りでも、絵を描いたり
個人でビジュアルを製作している人たちを見回せば
王道と思えるプロダクツの展開とも言えるわけですが
自分がいままで彫ってきた型のデータベース
または、それらを使った組み合わせのサンプルともいえることが
もっと種類を増やしたい理由と言える。

ほとんどの場合、型を彫って、布に色を置く前に
紙に色を置いてスキャンしてサンプリングしています。
90%はサンプリングができていると思っていたけど
できていないものも意外とあることが改めてわかりました。
おなじデザインでも、拡大・縮小したものとか
気持ちが先走りしていたのか、いきなり布に柄を置いて紙にすることを飛ばしていたり。
そのサンプリングしたデータをPCで編集して
印刷屋さんにお願いする版下を作っています。
ポストカードを作るとなると、サンプリングしたものの色違いが欲しくなったりもして
改めて紙でサンプリングしたりしていると意外と時間は過ぎていくものです。

自分にとってのコンピュータの作業は
やろうと思えば手作業でもできることがほとんどです。
たしかに手作業でするより短時間で作業は進むけど
その短くなった時間の中で脳の働きの密度は高くなるわけで
手作業をしている時とは疲れ方の質が違います。
ほどほどに期間をあけて進めたほうがいいとは思いつつ
これはこれである種の中毒性があるともいえるのでなかなか難しいところです。

最後に、、、
版下データを作るにあたって、これらのサンプルを使うということも
いままで選択肢に入れていなかったのですが
先日の資料づくりのさいのシュミレーションからの流れによって現在に至ります。
資料づくりの機会を与えてくれたN氏に感謝します。


画像は進行中のバンダナのためのラフスケッチです。
クライアント、というわけではないけどオーダー以外では久しぶりに相手がいるシチュエーションでの製作。
これはこれで新鮮です。

20160808

プラスマイナスゼロ と バンダナ

ここ2週間くらいかな?
生活のペースが変わってきている。
いつになく、肌寒い朝が続いているせいもあるとおもう。
足元がすごく冷えます。
運動不足もあるな。

秋に行いたいと思っていた東京での作品の展示は
来春以降、来年の夏前ころになる可能性が濃くなってきました。
自分の作品も3年計画の3年目に突入したところなので
いまは、作品に変化だとか自分の想定をこえることが多いので
時期としては、そのくらいが良いと思えてもくる。

気持ちにもすこし余裕ができたけど
課題もより多く見えてきているので
プラスマイナスゼロ、なかんじ。

チェンマイにきた年に出会った
自分からみると、天才と思える営業ができる知人がいる。
来月は旅に出るというので、
自分の作品で身につけられるもの持たせて旅をしてもらいたいと思っている。
話し合いの結果、バンダナを製作をすることに。
テーマは、自分が独断でえらんだ童話をテーマに
シナカルをミックスしようと考えている。

もうすぐ、チェンマイでステンシルをはじめて3年が経とうとしているけど
90%以上はチェンマイで目にするものをモチーフにしているので
横道にそれる感がなくもないけどやはり衝動には勝てそうにない
まぁ、8月だし夏休み気分でいつもとすこし違うことをするのもいいか、、、
とはいっても、ハイシーズンまで3ヶ月を切ったとも言えるタイミング
とても微妙。
その童話に、さらにチェンマイもミックスすればいいか。。。

ハイシーズンに向けて、というのもあるけど
ポストカードの種類を増やしたくて小ロットではあるけど
いままでにないペースで作っている。
作品の売り方を改めて考えたほうがいいと思ったからです。
売りやすいものを作ることも大事かもしれないけど
あまりそこにフォーカスしすぎて
自分の望む幸せとは違った形になってしまうのもやっぱり違うと思う。

より正確に言うと、やりたいことをやっているために
ひとつひとつの作品にかかる時間が増えてしまっている、ということで、、、
冒頭にも書いた3年計画の3年目ということで
やっと作品といえるものができるようになってきたのかも。
ろうけつ初めのころに比べると、作品の進化みたいなものが
早い気もするので、つねにそんなことを言っていそうな気がしなくもないのだが、、、















20160805

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20160801

ぜ〜んぶつながってるんだよね、、、宇宙と w

都知事選が終わって、ますますシナリオ通りに
日本という国が進んでいくのだな、と思わざる得ない。

政治のことを考えてみても
結局は権力者がどのように民を治めるかという
仕組みしか見えてこないのは自分だけなのだろうか?

あらためて権力、というものを考えているうちに
なぜ自分に第二次反抗期がなかったのか?
という疑問に対する、おそらくこれが答えであろうというものに気がついた。
これとこれがここでつながるとは思ってもみなかったけど。。。

いままで、それがなかった理由だと思っていたことは
このブログでも書いたことがあって
それはそれで間違っているわけではないけど
さらに、その根っこと思えることを思い出した、
というより気がついたといったほうが正確かな?

小学校5年生の時、クラス内の投票で児童会委員に選ばれた。
3年生から毎年児童会委員をやっていた、
やりたいと思ったことはなかったので、やらされていた、というのが
メンタル的には正確な気もするけど。。。
で、その5年生の時は我慢できずに辞退を申し入れました。
理由は、児童会委員は委員会がクラブの時間に開かれるので
任期である一年の半分はクラブ活動ができないからである。
クラブ活動は、ものづくりをするクラブがたくさんあって
図工の時間に匹敵する楽しさがありました。
その時間を取り上げられるのが耐えられなかったからである。
ごねまくった挙句、担任の先生から
いまから家に電話して自分の母親と話しをする、といわれて
なくなく、委員になることを了承した。
うちの母親は、こわいだけの人ではないけれど
怒らせたらまじでこわかったので、、、
結局、6年生の時も委員を引き受けた。

大げさに聞こえるかもしれないけど
これが自分にとって、権力に対して初めて屈服した体験かな?と、、、
いわゆる権力に対する負け癖の始まりともいえるのかな?

それ以来、権力にに対して微妙な距離を取るようになったとも言えるかも。
中学時代も、制服のルールは守るつもりもないし、、、
といっても、不良に対する憧れ、というものではなく
あくまでもファッションとして制服を楽しみたかった。
そんなかんじで優等生ではないのだけど
生徒会実行委員をやることになったり、、、
常に微妙なポジションで義務教育時代を過ごしていたように思う。

ちなみに、その小学校5年生のときの担任の先生は
図工の時間がすごく楽しくて大好きな先生だったので
その出来事はその出来事として気にしないようにしていたのかな?
図工の時間はいっつもいっていた
大きく描け、大きく描け、はみでてもいいから大きく描け。
見たまんまじゃなくていいよ、自分が思った色を足していいんだよ。
という言葉は、いまだに絵を描く時に聞こえてきます。w

あいかわらず、ながいログになってしまうけど関連事項として。。。
興味のない人は読まなくていいのでウィンドウを閉じてください。

自分の母親を最もこわいとおもったのは
その前の年、小学4年生のとき(だとおもう)。
自分が、将来絵描きになりたい、と言い出したことに端を発するわけで。
家を追い出す、ご飯あげないとか散々いわれて
親としても必死の説得だったと思うけど
小学生に対してよくそこまでいったな、と今になっておもう。w
数日後には、耳鳴りが止まらなくなったりしてたから
そうとうなストレスだったと思われるけど、親の気持ちはわからなくもない。
自分の親の教育方針を権力と言っていいのかわからないけど
人生で一番おこられたことがこれだと思う。

結局、27歳の時に半年のバリ島での滞在中にろうけつ染を初めて
帰国後も、それを続ける自分を見て
母親が、最初からやりたいことをさせてあげればよかった。
と母親の友人と自分がいる前でひとこといったのを聞いて
あるいみ、この人すげぇなと思いました。
さらに、彼女の名誉のためにひとことくわえるなら、
家族のことを考えてくれるやさしい母親であることは間違いないと思います。
家族以外の人にも気を使いすぎてストレスを溜め込む不器用な女性でもありますが。。。

話が逸れそうになりましたが
簡単に言うと、小学校4~5年が苦難の時代であり
そこから27歳までは与えられたなかですきなことして
そのあとは、結局やりたいことしか楽しくできない、
ということを受け入れて20年が経とうとしている。

大人は大人で、悪気があってしたことではないので恨んでいるわけでもないし。
これも、時代というか社会背景があった上でのことだとおもうけど
やっぱり、現在の教育ってどうなんだろ?と、あらためて思います。
こんなこといってる時点で、反社会的な発言ということになってしまうね。

世の中のことって、ぜ〜んぶ繋がってるわけだし、宇宙まで。

まぁ、人間のあり方そのものについて見直したほうがいい時代だと思うけど
そんなこといってたら、間に合わないことがいっぱいありそう。
でも、やっぱり選択できるものは選択して
大人が子供にあたえるのも義務なのでは?と思ってみたり、、、

あくまでも、直感ではあるけど
興味深い投稿を友達がしていたので紹介させていただきます。
シュタイナーってよく耳にするけど、実際どんなものか知りませんでした。
どんなものか、雰囲気はつかめるかと。。。

シュタイナーの教育がどうこう、ということもあるけど
子供とは、こういう存在である、というひとつの考え方として
一読の価値ありだと思います。
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