20170310

やっと、春ですね (笑

暦の上では啓蟄を過ぎたくらいかな?
陽が当たっているところにいると春を感じられるので気分も上がってくる。
2ヶ月ほど前、年が明けてからは人間も冬眠した方がいいんじゃないのか?と、
おもえるほど5年ぶりの冬はきびしいものに感じました。
実質上、冬眠してました、と言えるくらいの生活だったかも。笑
まぁ、豪雪地帯で暮らす人たちからしたら
ここ静岡の冬は冬に入らないくらいのものかもしれませんが。

3月に展覧会をしたいと考えてはいたけど
年明けからの寒さを目の当たりにして思考もどんどん鈍り
街を見ても、社会的な情報をみても気分は萎えるばかりで自分を見失いました。

3月に入ったくらいから軌道修正をしなくてはと思えるようになり、
とにかく今できることをしようと思えるようになりました。
まずは、タイから持ち帰った作品をネットショップに登録する。
これをやろうと思い始めました。

それまで自分の中にあった流れのようなものが緩やかに停止して
今までの延長としての活動というものを考えられなくなりました。
なんでかわからないけど、どうしたら良いのかわからいので
とにかく気になることを調べる時間が多かったと思います。
その間の思考の渦から出てきた
いくつかのアイデアの中に染色も含まれている。
日本に帰国したなら、5年前に日本でやっていたこととのリンクも考えろ、
というガイダンスと受け取ることもできる。
実際、帰国後に再会した人たちから染色をやる気があるのか?どうか?を
度々聞かれたことも、もちろん影響しているとおもう。
かつて使っていた染色の場所も道具もほぼ全て失っていることもあり
いま、自分からそこへ向かう気はなかったのだけど。

タイにいる間も、染めとステンシルのコンビネーションというのは
目標の中にあったことなので、それが自分の道といえばそのとうりなのだけど。。。
作業する場所、道具をどのように所有するかが当面のテーマということになりそうだ。
いままであまり考えたことはなかったけど
チームプレイもいいのでは?と思ってみたり。
いままで群れることにあまり興味がわかなかったのだけど
群れるかっこよさもあるんだな、ということを木の花ファミリーを見て学習しました。

20170202

リアル・ヴィレッジとフレットレス

今自分が住んでいる海沿いの町から車で15分くらいの集落にいってきました。
海と山が近い地域なので、そこはじゅうぶんすぎるくらい山の上で
ひとことでいえば別世界。
そんな何てことはない集落に友達夫婦が住んでいる。
引っ越してから、一年と少しとのこと。
先週につづいて2回目のリアル・ヴィレッジ訪問。

10数軒の集落で、周りはもともとその土地に住んでいる人たち。
いわゆる限界集落。
友人の住居がある敷地からは畑がつながっていて
とても豊かさを感じられる場所。
敷地の脇の道は100mもいけば、人が歩くだけの道幅になり、山のなかに続いていく。
山道っていうのかな?

そんな山道を少し散歩しながら案内してもらいました。
子供の頃は、裏山で遊んだり祖父母の山の畑にいくことも頻繁にあったので
当たりまえに歩いていた山道をひさしぶりに歩きました。
山の形をいかして、畑をつくり
その地形をいかしながら山道ができている(とおもわれる)。
崩れそうなところには石を積んで道を使いやすように工夫して
そこに暮らす人たちが山を敬い山と共存していた時代を感じさせられた。
感動というより、ちょっとした衝撃でした。

自分たちの生活を便利にしてきたテクノロジーもすごいとは思う。
当たり前に使って恩恵を受けていると同時に
その多くはどこか離れた自分からは見えない場所で失っているものがあると感じる。
そのギャップをたいていはお金というツールで埋め合わせているようにもみえる。
かりに失ったものを取りもどすエネルギーを想像すると
いわゆる現代的な生活というものは多くの難題を生んでいるともいえる。

言葉にすれば、ずいぶん前から気づいていたはなしでもあるのだけど。。。
友達は、集落自体を維持していくためには、知恵や技術も必要だし
人材が足り無くなるのは時間の問題と言っていた。
日本のいろんなところから聞こえてくるはなしでもあるけど
そこをクリアすることが未来をつくることなのだな、とあらためて感じました。

画像は、最近頂いた中古のベースを
フレットを外してあり合わせの材料でボディをつけたもの。
ピックアップをつけなくても、そこそこ鳴ったらいいなと改造してみたものの
そんなに甘くはなかった。
ということで、もともと2個付いていたピックアップのうちの一つだけつけた状態。
弦高がけっこう高いので調整をしたほうが使いやすいけど
ウッドベースへの欲求はかなり解消されたと感じている。
フレットレスへの欲求が大きかったようです。

改造に使った材料の材質的に限界はあると思うけど当面は使えそうでうれしい。

20170131

鬼はぁ〜ウチ

もうすぐ節分。
節分といえば、豆まき
ものごころがついた頃にはやっていたとおもう。
豆まきの由来というのも、一説によれば
かなりひどい話でおそろしいことでもある。

なにごとも、どこまで歴史を紐解けば真実が見えてくるのかを考えると気が遠くなるけど
オリジナルの日本というのは縄文時代まで、ということになるだろう。
もちろんその時代の様子をこの目で見ることは難しいけど
人類史上稀に見る調和が保たれていた、そんな風にいわれることもおおい。
ひとくちに縄文時代といっても一万年規模の長い時間をさすので
その初期と後期では人々の意識にもギャップがあることも考えられる。
その要因は外的なものも内的なものもあるのかな?

前回の投稿で触れたカタカムナ。
歴史的にみれば、その解読や研究はつい最近のことだ。
これが異端とされてきたことは、これが世にでることはだれかにとって不都合があるからだろう。
不都合を隠したい勢力というのはいつの時代もいるようです。
そのカタカムナがこの数十年の間に、世の中に出てきたことはとても興味深い。
もちろん、カタカムナがどんなものか知識としてみにつけるだけではあまり意味がなく
それを踏まえてどう生きていくのかが、最近の自分の興味のいくところです。

おもしろい投稿を読んだのでリンクを貼っておきます

誰かが書いた文章は情報であり、
なんらかのバイアスがかかっていることはあるいみ自然なこと
そこを踏まえても楽しめる文章だと思いました、ちょっと長いけど。

最後に鬼の話。
鬼はもともとは人間の心に住んでいるもの。
ひとりひとりが、心を磨いているかをみる係。
ちゃんとしてればこわくない存在。
だから鬼はウチなんだとさ
福もウチ?
場所によってはそういうところもあるようだけど
鬼はウチ、福はみんなでシェアしましょう。

このくらいが現代的なかんじなのかな?

20170123

必要なものは何?

日本の物価にもだいぶ慣れてきたけど、
頭の中は何かモヤモヤした感じがつづいている。
それも、自分の思考がそのようにしていることとわかりつつも
抜け出せなくてすっきりしない時間が続いていた。
そんな中、久しぶりに新しくワクワクする出来事があったので記録。

あまりにも目の前のことばかりに思考が囚われているとおもい
すこし視点をかえて考えてみた。
仮に、70歳まで生きられるとして残りの時間は22年、今の自分に必要なものを考えた。

真っ先に浮かんだことは、安心できる食料とカタカムナのふたつだった。
自分で安心できる作物を作って食べるという経験はほぼない、といっていいけど
自分のまわりには実践している人たちがいるので生活環境を変えることができれば
手に入れることができると考えられる。

カタカムナは、平たく言えば
13000年前に今の日本にいた人たちが残した宇宙の物理学、と言っていいと思う。
その存在を知ってから20年以上経過しているのにもかかわらず
いまだに深く探究するということができていない。
なぜ自分がそこに惹かれるかは直感としかいえない。

2年ほど前に知人が書いた文章で、カタカムナに関することでそれまでに読んだ中で
一番わかりやすいと思えたものがあったことを思い出した。
投稿主は木の花ファミリーというコミュニティで暮らしている。
そのコミュニティーの存在は知っていたけど
どんなところかは知らなかったので一泊二日で体感してきました。

安心できる農とカタカムナが大きな柱となっている
エコヴィレッジということばがしっくりくるコミュニティ。
その柱を支えているのは、住人ひとりひとりがこころを磨くという生きることに対する姿勢。
世間一般の感覚からいえば、一線を越えた生き方といえるかもしれないけど
その一線というのは、自我を超える、ということなのだな、というのが感想。
これは、木の花ファミリーのホームページをみても読み取ることができることなので
看板に偽りなし、ということだ。

今の自分に必要なことは、自我を越えていくこと、という結論。
これって、ことばにすると凄すぎてよくわからないけど
どんなことも、視点によって感じ方、捉え方が変わるということを
身につけることがポイントなのかと。。。
ワクワク感をもって実践していくべし。

滞在中に、木の花ファミリーが3月にオープンするアンテナショップ(カフェ)で
自分の作品を扱ってもらえる、という話のながれも出来たのでさっそくワクワクしている。
これからよい関係を築いていきたいです。

現状、日本で作品を扱っていただいている唯一の場所
Cultuart by BEAMSとは対照的な場所にみえるけど
両者に共通していることは、世界に向けて発信できている場所、といえる。
ありがたいことでこれまたワクワクします。

最後に、木の花ファミリーの中心的人物である「いさドン」のブログをリンクしておきます。
これは、トランプ米新大統領の就任式の日の投稿です。
ぶれない視点、大事だと痛感します。

20170113

高齢化社会とAI <老人Z >

介護ロボットの話題が目につく。
実家で生活していると、隣人の話しを耳にしたり
実際に両親をみて老いていくことがどういうことか、を
まのあたりにすると同時に介護というテーマは現実味をおびる。
両親はいまのところ介護を必要としてはいなくても。
もちろん、自分の肉体をとおしても年を重ねるということが
どういうことなのかも感じる。

介護ロボットといえば「老人Z」というアニメ映画がある。
高齢化社会とAIをテーマにした25年以上前の作品。
時が経てば経つほどリアリティがますようにも思える。
現状としては問題は深刻化していくし、
さらなる社会問題が表出していくようにうつる。
それは一部の人間にとって、それらの問題も資源ととらえているようにすら感じるわけで。

そういった人たちがAIの進化とか導入に積極的なのは容易に理解できるけど
AIに関して否定的な意見というのを目にする機会はあまりない。
裏のことも論じる人たちもAIが導入された社会の話しばかり。
確かに脳は情報を処理している器官といっていいかもしれないけど
クラウドで学習する知能と言われてもそこには疑問しか残らない。
思考や情報でない部分で感じることや
気配といったらいいのかな?
具体的に説明できない部分で判断しているのが人間だとおもっている。
そういう、アカデミックな場では説明が難しいところを切り捨ててもいいと
考えている人でなければAIを開発しようとはならないようにもおもえる。
そういった部分も考慮してます、といわれても
プログラムの根本的な部分に誰かの意図が混入しているはずだともおもっている。

結局アニメーションの方がリアルにおもえる不思議な世の中。笑
おかしいな、子供の頃はアニメはフィクションだったのだけど。

久しぶりにエヴァンゲリオンみなおしてみようかな、、、

20170110

ひさびさの物欲

そそられる
というか、すでにかなりそそられてる。笑
どうしても今すぐほしい、というわけではない。。。
実際、経験があるかといえばないに等しいし
持って移動するの難儀だしね。
2年前に触った時は5分で指が痛くなったけど
昨年末はそれもなかったのが大きな要因。
現在の自分のスペースでいつでも音を出せるかといえば
それも難しいので、今すぐでなくていいと思えている。
物欲というよりは、音とたわむれたい欲求。
ということで、版画。
紙の上は自由だ。







20161230

ゆめ

昨夜は、おそらく人生で一番の長編の夢を見た。
ポイントポイントで夢だということを理解しながら
非現実的というかひたすら不条理なことが展開されていてたのしい。

みてる時はおもしろいから覚えておこうとおもっているのだけど
目が覚めてから記憶をたどろうとすると
みたものを言語化しようとすると消えていく。

寝ている時はいつもゆめをみているのかな?
夢を見ていることに眠っている自分が気付けるかどうか
最近はそんな気がしている。

帰国してからひと月くらいはよく夢を見た
どれも楽しい夢ばかり
しばらくして見なくなってひさしぶりに見たのがおとといの短編だった
アナログの録音レベルの針が動くのを見ていた
TYCOON TOSHのことが意識をよぎった、夢の中で


20161225

SOULCRAP AT DONFAN


23日、大塚にあるJAZZ BAR 「DONFAN」にいってきました。

かれこれ4半世紀以上前にライブ会場でよく一緒にいた
FAVE RAVESLuiさらにDONFANに出入りするミュージシャンによる
セッションも織り交ぜながらのsoulcrap忘年会。

FAVE RAVESはsoulcrapの自主レーベルGreen Union Recordsから
最近アルバムをリリースしてますね。
アルバムをゲットし損ねたので近々入手したいと思います。

セッションはセッションで和やかに楽しみました。
で、soulcrapの演奏
ほぼ5年ぶりに見ましたが、たまげました。
以前とはちがうバンドなんじゃないか?というくらい成長している気がしました。
なんて自分がいうのは失礼な気もしますが、、、笑
機材のハプニングもあって予定していたリストとは違った内容となったようで
メンバーとしては微妙なところもあったかもしれないけど
そんなことも含めて最高でした。
さいごに音楽で体を動かしたのがいつか覚えていないくらい
音楽に対して自分で自分がハテナな状態だったのですが、吹き飛ばしてくれました。
ありきたりな言葉になってしまいますが
やっぱりライブで体で感じることは、音源を聴くのとは全く別ですね。
しびれました。
サウンド的にもRiddm n Bluesと謳うだけあって曲ごとの色も幅がありつつ
破壊力のある(笑)曲はまさにsoulcrapでしかあじわえない唯一無二のサウンドを堪能できます。
あれで踊らずにいられたら音楽好きとは言えないんじゃないかな?
体験すべし。

冒頭の画像は、DONFANということでJAZZをテーマに作った版画。
トリミングするとポストカードぐらいの大きさになります。
このところフルームを作っているので、端材のアクリル版にあわせて小さめの作品を、
ということで制作したものですが、サイズ的に飾る場所の選択肢が増えていいな、とおもいました。

トリミングしてフレームに入れたものはDONFANにあるので
JAZZでお酒をのみに行ってみよう!!

DONFANはsoulsrapのめんばーでもあるKads MIIDA画伯やKao.さんの
アートが楽しめるお店なのでJAZZを知らない人でも楽しめるお店です。
オーナー夫妻も青春時代からの仲間なので
このブログで知ったことをいえばなじみやすいと思います。 笑

最後にsoulcrapの割と最近の名曲Sincerityの動画をリンクします。




20161217

フレームとことば

このところフレームを作っている。
ファブリックパネルにするためにタイから持ち帰った布や
帰国後、紙に柄をのせた版画につけるため。

久しぶりに足場板も使っている。
全国的にかなり出回っているのかな?
建設現場で足場に使った板をアップサイクル。
材木屋さんが水洗いしてくれているものを使用。
主張しすぎず味があるのでフレームにもよい。

話はそれるけど、先日友達の音楽スタジオにお邪魔して
ことばで伝えることに興味を持った。
そして言葉を書きとめてみた

実家に3ヶ月以上の滞在が続いている。
リビングにはもちろんテレビ
テレビを見ている家族を見ておもうこと

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = 

箱型から薄型へ
形はあたらしくなったけど
映し出される内容は変わらない

偏ったものの見方
これでもかというくらい
宣伝 洗脳 誘導
だれのため?
なんのため?

やり方はおきまりのパターン
構造はわかればシンプル
しらなければ巧妙
誰が得をするのか?
いろんなことが見えてくる
全てに意図がある

映し出されるものは幻影
表があれば裏がある
良いとか悪いとかではないところで
表と裏がある
見方を変えれば裏が表

幻影は氷山の一角

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = 

このまま音楽と合わせたいと思っているわけではない
なかなかいいと思う比喩も見つからない。
今一番欲しいのは、ユーモアのセンス。

20161206

・・・。

世界中でいろんなことがおきているようだ。
実家で暮らしていて、1日に何回かはリビングにいくので
テレビで何が流されているかもなんとなくは知っている。
その目的はインターネットをみれば、想像がつくことも多々有る。
一方、インターネットを見ても実際に何が起きているかはよくわからない。
わかるのは、世界大戦といってもいいくらいの変化がおきている、ということぐらい。
わかったところで、その日の自分の生活に支障をきたすわけでもないのだけど
その大きなうねりは、じわじわと社会を動かしている感覚も充分にあったりする。
現代の戦争はひと昔の前のものとは違う形といわれていたけど本当なきがします。

人工知能をはじめとするテクノロジーの発達をありがたく思う人たち
全く興味を持たない、というかむしろ嫌悪感を示す人たち
どちらでもない人たち、といろいろいるとおもうけど
主に手塚治虫の作品といえる
漫画を通していきすぎたテクノロジーに危機感をもつ人間としては
そこにフォーカスすると未来に不安を感じてしまう。

去年の今頃は世界中でクラフトブームがおきているように思えて
楽しい未来を想像していたのだけど、最近はそんな感覚はうすい。

かつてSFの世界と思っていたことがおきているのだな、とおもう今日この頃。

ブログもしばらく書いてなかったけど、相変わらずのステンシル活動。
来春にシルクスクリーンプリントでリリースされるTシャツの準備も進行中。
こんな時代に、手にした人が何か感じられるものをドロップしたいと思います。
詳細はまた書きます。