1 昨年の10月に約1ヶ月間の一時帰国はしているものの
約4年半、日本を離れている身。
日本を捨てた人間と指摘されても否定できない自分がもどかしかった。
三宅洋平の演説や選挙フェスの出演者たちを見ながら
『チェンマイにいる自分にできることはなにか?』を考えていた。
そもそも、なぜチェンマイにいるかといえば
放射性物質による汚染に対するストレスで
いままでのただそこにある自分の生活に支障をきたしたため
海外に生活の場を求めた結果である。
その根っこをたどるなら、
'87に出版された広瀬隆の「危険な話」をリアルタイムで読んだとき
日本で原発事故が起きたら海外に引っ越すことを決めていたからである。
躊躇なく実行に移そうと思えたのは
'08位から、自分のアートの拠点を海外に移したい、ということを
考えていたこともある。
この約半月ほど、考えていたわけだけど、、、
三宅洋平は見事に、音楽と政治を融合させて
自分の目線から言うと、そのクオリティーが高すぎて
なんて自分は非力なんだと感じざるをえない瞬間もしばしばあった。
開票がすんで、一夜明けてからも
なにか、モヤモヤしたものだけが残っていた。
彼が当選できなかったからではない。
なぜならば、彼の活動はこれからも続いていくわけだし
最低でも、寄付金という形でその活動への参加はできる。
でも、それだけでは納得ができない自分がいました。
なにか自分らしい形で表現したかったんだと思う。
今日は、予定どうり昼前から作品の撮影をはじめて夕方には、ひと区切りさせた。
昨日の段階で、ぬの版画の制作もひと区切りついていたので
数日ぶりに、ヘンプで3枚目のタンクトップを作り始めたときにおもいました。
ヘンプのタンクトップを日本に送って必要としている人に着てもらうことも
自分にできること、としてアリだな、と。
ヘンプに関しては、タイムリーに記事が投稿されているので
前回に引き続き、宇宙のマスコミ★ゾノンネット☆を参照してもらうとしよう。
選挙期間中に、ヘンプの生地を購入して
タイに来てから、はじめて衣類として身につけるものを作り始めていた。
日本を離れている理由ともつじつまはあうとおもう。
似たようなことを思った人もいると思うけど
ヘンプの服は、いくらあっても困らないんじゃないかな?
ヘンプに関してはもちろん推進派であるだけに
ひとりよがりにならないように努めたい。
身勝手という人もいるかとは、おもいますが
勝手に、自分らしくある生活を始めてしまっているのでご了承願いたい。
最近、答えを求めて考え事をしていても
結局、答えは足元に転がっていることが多い気がします。
すでに47年も生きてしまったが故の、年の功とも思えるし
天の導きとも思える。