気にするようになったかに触れた。
なんでその思いを今に至る30年間もキープしているか
ということを書いてみよう。書く必要あるのかな? w
という気もしますが、、、
これは先月書いた、
自分がひとからヒッピーと思われる
思考、言動を持つにいたるはなしでもある。
'94くらい、友人を通してマクロビオティックを知って
その考え方のユニークさにひかれ
当時手に入る、提唱者である桜沢如一の出版物をすべて読み漁った。
いわゆる自然食品を扱うお店やレストラン、
天然酵母のパン屋さんにも通いました。
材料を買って自炊もしました。
まんまとはまったわけです。
そのあたりの文化では、反原発はあたりまえという印象。
原発に関するリアルタイムの情報も聞こえました。
それから、チェンマイに来た'12の1月まで
とても優等生とはいえないけど
そういった文化圏は生活の一部でした。
というのが、30年近く前に「危険な話」を読んだときの気持ちを
キープしていた最大の要因だと思う。
もちろんそれだけでなく、その界隈では
今となってはだいぶ浸透してきたエコロジカルな考え方や商品
ホリスティックな医療に関する情報が普通にありました。
自分としては、そのようなものが一般的になれば
もっと住み良い社会になるのに、というおもいを20年以上前から抱いていた。
90年代当時、マクロビオティックが浸透しているのは
日本ではヒッピー的なライフスタイルの人たちが多かったです。
とくに、地方では。
久司、大森といった指導者もすでに活躍していましたが
自分は、桜沢の本しか読んでないです。
びっくり炊きの危険性や、果物に関する陰性の度合いなど
当時から語られていたことで、修正が必要なこともある。
実際、彼の著作は食べ物のことより
精神性に関するものの方が数的には圧倒的に多いとおもいます。
現在自分がマクロビオティックをとおしてかんじていることは
次のようなことです。
宇宙の全ての事象において
陰性、陽性といった性質があって分類することもできる。
ただし、それは全てが相対的なものであって、絶対的なものではない。
大切なのは、あくまでも中庸をしることであり
経験をとおして各自判断すること。
食を考えることで
自分の体をピュアな状態にし感覚を鋭くすることで宇宙観を身につけよう。
肉体的にも、精神的にも地球も
自分、正確には地球に暮らす全ての生き物のかがみともいえる。
ひとりひとりが変わっていくことでよりよい循環型の社会が作れますよ。
と、いうことだと思っています。
言い回しは違っても、そこに書かれていることかもしれません。
それでも、身を以てこのように感じたのは
マクロビオティックを知ってから17年が経過した時でした。w
ちなみに、自分は'96に東京を引き上げて静岡に戻りました。
その引越しの際、マクロビオティックの本も紛失して
それ以降、桜沢の本も読んでいません。
自然療法的なことをはじめ、植物の力による
肉体の反応というものは、かなり即効性があると思いますが
思想的な部分は、生活の環境が大きいんじゃないかな?
ちなみに、現在は状況によってなんでも食べています。
そこに罪悪感はありません。
最近の自炊に関しては
その土地でその時採れたものをたべることを大切にすること
基本調味料のクオリティーを重視すること
そんな食生活なので、マクロビオティックを実践しているようには見えないと思いますが
やはり、ベースとしては欠かせないものになっています。