20160730

Salvation とPostcard [ coffeeに関する ]



すでに1年以上放置してあったiBook G4
捨て値で友人に売却後、Adobeのアプリをアンインストしたくて
いったん手元に戻してもらったところ
起動する気もおきない姿になって戻ってきた。
せめて、部品取りにということでHDDとCDDを救出。
パソコンのメンテナンスなど、もろもろお願いしているお店に行くと
むき出しの内蔵用HDDをUSBの外付けHDDとして使っていて、すこし憧れていた。
検索してみると、そのためのセットも販売されているようだ。
むき出しだと、電磁波出しまくりかな?

ポストカードを新しく作りました。
まずはコーヒー柄で3種類。
タイでは最近ドリップコーヒーが人気の模様、日本の影響。
ということで、まずはドリップ中〜



で、注いで飲む。
注ぐ方は、大人のためのシナカルです



これからパッキングします。












20160728

インプロビゼーション と シュミレーション

二つ前の投稿「粉食生活と・・・」の後半修正しました。

自分の作品についてまとめる作業をひと段落させました。
出来上がったものは、資料としては完全なものというよりは
たたき台、といったほうがしっくりくる内容かと。。。
ここ2〜3ヶ月の間に作ったものの画像と
サイズ、手間をそこそこに抑える心構えで
これから作ろうとしているものを
コンピュータを使ってシュミレーションしました、
といった内容。

シュミレーションは、メンタル的にしんどかったです。
最近は使いたい型を使いたい時に使いたいだけ使って、、、と
気の向くままに作業を進めていました。
「こんなことができますよ」という説明の資料作りでは
この型も、あの型もみてほしい、となるので
気の向くままに進んで行くことができない。
気の向くままにこの型も、あの型もシュミレーションにつかえばいいのでは?
という気もするのだけど、何かが違う。
ここ最近と違う「気」が存在するともいえる。
欲張りになっていることは確かで、その気持ちに何かがついていけないような感覚。

特にこの一年くらいはシュミレーションというものを避けて
版画という枠組みの中での即興性ともいえる部分にフォーカスしていたことに気づく。
とは言っても、シュミレーションをしてみると
実際にそれを作ってみたいとおもう自分がいる。

いまの自分がどういう状態にあるのか理解するのに手間取りがち。w

シュミレーションは少し先の未来をデザインすること
気の向くままの作業は、完全に「いま」にフォーカスしている
今回の資料作りは
現状と違う流れを取り入れたくて始まったはなしなので
いつもの流れとは違う自分を実行することは当然な話である。

さて、どうしよう。
ひと段落したとは言ったけど、逆に
シュミレーションできていない型も気になってきてるし、、、
あと一つだけシュミレーションしたら
布の上での実践に入りたいといまは思っている。
展示用のための実践というよりは
精神的なバランスをとる、という目的が濃いめかな?

20160726

透明 と 脱力

ここ1年くらいかな?
20代前半よく一緒にいた友達に、いわれた言葉を思い出す。
「透明だね」
色にたとえると透明だね、と。
当時はなんのことをいわれてるのかさっぱりわからなかった。

それから25年くらい生きてきて振り返ってみると
あたってるかも、とおもう。
いろいろなものに好みがあったりもするので
それらで彩られた自分が自分の色に見えるときもあるけど
実際は環境や状況によって変わる自分、というものを知った。
するどいな。。。

環境や状況で色が変わったように見えても
同じところにながいこといると結局はストレスを感じるようになって
別の場所に行きたくなる性質があることもわかった。
透明に戻りたくなるのかな?
一人っ子気質とも言えそうだけど
周囲の一人っ子の友達を見ていると、それだけではない気もする。
大なり小なり、誰にでもいえることかもしれないけど
たぶん、不器用なんだと思う。
一見、器用そうに見えてる人も中にはいるかもしれないけど。。。

からだはラジオみたいなもので
相手の電波を受信して反応しているようなもの。
シャンティな人といるときはシャンティで居られるし
何か強い主張のようなものを持っている人といるときは、そうはいられない
主張したいことがあること自体はいけないことではないけど
発信の仕方ということか。。。
そのような人の中には、弱さゆえに何かを持たなければ、
と頑張っている人もいると感じるけど
そういうときは特に調子が狂う気がします。w

これは、逆の立場つまり、自分にもいえることで
そんなことを、小難しく考えはじまたときは
やっぱり手ぬぐい体操がよさそう。
身も心も脱力していたい、と改めておもうのであった。
こころ、からだは精妙かつシンプル
一見答えが見つかりそうもないことにぶつかったときは、
いつでも脱力。
これも宇宙の法則のひとつかと。。。

結果的に、寺野式手ぬぐい体操の宣伝になってる。w
本当にすごいんだよ。
http://yutaiho.com/about
http://yutaiho.com/plan

https://www.kenkojiman.com/categories/workout/articles/842/



20160725

時間を外した日 2016

今でもあると思うけど、テレビ番組を見ていて最後に
「この番組はフィクションです」と映し出されていた。

いまでいう、いわゆる1%ピープルといわれる存在を知り
そこにまつわる話を読み始めたのが10年とすこしくらい前だとおもう。
自分を含む、普通の市民がいかに支配された状況にあるか、
ということを知ることでもあるのだけど
別の見方をすると、世の中にはいろんなワナが仕掛けられている
という見方ができることもわかった。

マクロビオティックを知った20数年前から感じていたことではあったけど
それらを知ることで、より明確になっていくことも多かったです。
時が経つにつれて、見えにくいけど大きな力によるもの
または、背後に大きな力が存在しているように感じるものにたいして
懐疑心を持つことがあたりまえになっていった。

無力感を味わったときもあったけど
なるべくストレスのないように
楽しいことをより楽しくやっていこうと
強く意識するようになっていくことはごく自然の流れだった。
実際の生活の柱となったのは
食に関することと、アートすることだったと思う。
物事にはすべて多面性があるので
いまそこについてまとまった文章にするのはむずかしいとおもうけど、、、

大雑把に感覚的にいうと
食を知ることは、自分の体を知ることであり
それは、宇宙を知ることにつながっていく。
宇宙を知ることは、意識というものの理解を深めること。
そんな風に思っている。
これはヨーガを実践している人も感じることだとおもうし
それら以外にもいろんな道があると思われるので
とくにマクロビオティックを推進しようという思いはありません。
念のため。

もちろん、すべてをわかったと思っているわけでもないです。
自分のペースで感じてきたことが自分なりにあって
実際の生活に役立つこともあれば
さらなるイマジネーションを求められることもある。

ここ数日、とくに一昨日から大きな力によってもたらされている
ひとつの現実社会というものにリアリティを感じなくなってしまった。w
明らかに自分がイメージするものと
対極のことばかりを押し付けようとするからだとおもうけど、、、
仮にテレビで普通にニュースを見ているとした場合
ニュースの最後に「この番組はフィクションです」と
映し出されてちょうどいいレベルに思う。

一方、意識レベルでおきていること、感じることにはリアリティが増したともいえる。
現実逃避という見方をするひともいるかもしれないけど
こっちは、完全なる現実とも言える、少なくとも自分の中では。
意識とか感覚的なことはカタチのない生き物ともいえると思うので
たとえば一週間後どのように変わっているかさえ読めませんが。。。
いまの自分がそのように感じているままを書いてみました。w

これからの時代、自分の宇宙つまり自分の場というものは
自分で開拓していかなければならないのだな、と強く思う
2016年の時間を外した日がはじまりました。

20160722

粉食生活 と イラストレーター(アプリケーション)

フライパンを購入してもうすぐ1ヶ月
パンケーキしか作ってないけど、けっこう楽しい。
小麦粉は、中力粉、全粒粉
それ以外では、米粉、ココナッツ粉をミックスして、あとは
ブラウンシュガー、塩、水、ベーキングパウダーを混ぜて焼いてます。
粉以外の材料ではゴマとかピーナッツ、シナモンとかも選択肢にあります。
どの比率がベストか?とかはわからないけど
市販のミックス粉より安心のおいしさ。
タイ人の考え方でいくと、このフライパンをもう一枚
ひっくり返して重ねると、ちょっとしたオーブンになる、ということになる。
ピザ程度の高さのない料理ならいけそう。
タイミングを見て試してみたい。


食べ過ぎるて、体をもう少し陽性にもっていきたくなることもしばしば w
ベーキングパウダーを卒業して、もっと生きた力で膨らませたいけど
今の生活では、計画的な食事というよりは
思いついたら、サクッとつくれることが重要なので
しばらくは、こんな感じだろう。
あらためて素朴な疑問をひとつ。
テフロン加工って本当に必要なのかな?

ぬの版画の作業に関しては
かなり久しぶりにイラストレーターというアプリケーションで
シュミレーションしています。
今まで彫ったステンシルはほぼすべて紙に版画したものをスキャンしてあるので
それらを組み合わせてレイアウトする作業。

実際のぬの版画、つまり布にステンシルの型をおいて
ブラシで色を入れていく作業、
これ自体が、イラストレーターの中にいる感覚、
オブジェクトの変形はできないけど
布の上に型をレイアウトして、色を作って塗ることが
コンピュータの中のイラストレーターに自分が入って
作業している感覚ということに気づいてから
コンピューターでイラストレータを使う気が全く起きなくて、してませんでした。

さすがに、資料を作るのにケツに火がついた感ありありなので
半年ぶりにコンピュータで作業してみたら、まぁ、これはこれでいいたのしいね。
額装作品を二つ作ってみたあとで、
行っている今のコンピュータをつかうシュミレーションは
それらでやったことのハードルを下げることともいえる。
最近やっていることとは、ベクトルの方向が違う気がする。
今までの人生は、ハードルを上げることしか考えてなかったので新鮮です。w
実際にできることかどうか?という判断が明確にできるようになっていることが
楽しめる原因として大きいとおもう。

20160719

近況 と 花椿

5月の半ばに自分の作品に関する
ここ3年ほどと、これから先を示すための資料を作ろうと
準備を始めて、はや2ヶ月。
やっと、いま自分になにができるかが見えてきました。

一昨年は、シナカル中心に型を作って
去年は、タイのコトやモノの中から描いてみたいと思ったものの型を作った
で、現在はそれらを混ぜるとどうなるか、ということをしてみて
いま自分になにができるかが見えてきました。
3年計画の、3年目突入といったところです。

先月作った、フレーム作品もその一環ではあるのだけど
気に入っている型で、その作品に登板しなかったモノを使って
二つ目の、フレーム作品を製作中。
ひとつ目と、同じレストランの同じ部屋の違う壁に飾らせてもらいます。

さて、たまには息抜きに
作品の話でも、食べ物の話でもないことを、、、

数日前、SNSで資生堂のアプリケーションのはなしから花椿のはなしになった。
花椿は、資生堂の企業文化誌なんですね。
忘れた頃にその名前を聞くようなきがします。
それだけ、安定したクオリティーを保って作られている、ということなのだろう。
自分は実際に手に取ったはコトはない、とおもう。
なぜ、その名前に馴染みがあるかというと
花椿のモデルからキャリアをスタートした気になるモデルさんがいるからである。
モデルというより、アーティストといったほうがいいのかな?
音楽活動もしている、ということもあるけど
服を着て、写真に写っている様子が、
写真家の表現でもあるけど、彼女の表現でもあることが伝わってきます。

初めて知ったのは、4半世紀くらい前。
何かの拍子に思い出してはチェックしています。w
昔から宇宙人みたいな人だなぁとおもっていたけど
いまだに、そんなふうに感じます。
年齢は、じぶんよりここのつ上ですが、いまだに素敵におもいます。
本人をこの目で見たコトはないのでいつか見てみたいなぁとおもっているひとり
まとめて、画像が見れるサイトがあったので、リンクを
ここまで、幅のある着こなしをまとめてみれるのは初めてな気がします。
ブログは、こちら
日常の節々に感じられる彼女の感性がおもしろいです。

20160717

あまやどり 2016

SNSを見ていると、今度は都知事選が盛り上がっている。
SNSもどんな人たちとつながっているかで画面に映されるものが違うのはもちろん
自分がどんなリアクションをしているかでも、それは違ってくる。

運営者からふるいにかけられている感が、選挙後一層強くなってきているようにも感じる。
改めて距離感を考え直すタイミングなのかな?

シナモンとカルダモンを説明文には
「こよなく平和を愛する生き物」という文言がふくまれてはいるものの
基本的に、こえを高らかにあげるわけでもなく
あくまでも「ゆるめる」ことが大きなテーマなので
現在の政局に対しては少し弱くなってしまったのかな?と、、、
参院選の後、いままでのスタンスで彼らを描き続けてよいものか再考していた。

前回の投稿にあるように、自分は平和な風景を見て
あらためて平和憲法を守りたいと思いました。
だれもがそう感じるかはわからないけど
それが、自分の感性という結論に達しました。
参院選以降、彼らの表情がかわりました、正確に言えば目の描き方がかわった。
これは、選挙の影響だけでないことも、自分ではわかっているけど
最終的に参院選が引き金になったことも事実である。
テイストとしては、ろうけつ染の初期の彼らに近くなったと思う。

原点に近づいたという言い方もできる。
ということで、セルフカヴァーともいえることをしてみた。
ジェームス・ブラウンみたいでいいかなと。。。
この画像は、今日作ったもの。



































今年のチェンマイの雨季は、出だしこそ遅れまくったけど
6月に入ってからは、わりと安定して雨が降り
降り方も、熱帯らしいスコールのようなこともおおくてとても過ごしやすく思います。
最近は、雨の降るタイミングの見極めも上手くなってきたのか
雨が降るタイミングに移動していることがほとんどないのですが、、、
雨が降り出すとバイクで移動している人たちは
屋根のあるところにバイクを寄せて雨宿りをします。
この雨宿りも、チェンマイの名物の一つといえると思います。

傘をさしている方は、前回はいつどこで描いたのか資料になるものが見当たらなくて
このシチュエーションのシナカルを描いたことがあることだけを覚えている。
もう一つの方は、当時カラーコピーで作ったポートフォリオからの
オリジナルの図を置いておきます。
おそらく、'98にTシャツに染めたものです。
シナカルの描き方も、いまと違ってまだまだ未完成な時代、懐かしいです。
今回のぬの版画に関しては、今日の線画のものに、色の版を追加して
さらに他のパーツも組み合わせて、作品化していきます。
















20160715

このメッセージがいらなくなる日を祈りつつ

選挙が終わって今日で5日目。
今回の選挙ほど、終わってから
そこへの意識を惹きつけられる選挙はないように思う。

天皇陛下の生前退位の意向のニュースが流れたり
どういうながれになるかはわからないけど
平和を愛するのであれば、
現在の平和憲法を守りたいのであれば、
より意識を高めるときにあると思っている。

自分も活動にヘンプの衣類を提供していくことを加えたけど
それは、被爆対策や医療大麻の解放に関するメッセージであって
護憲というテーマに対しては響かないので
どうにか、そこを表現したいと思っていたのかも。。。

おととい友人がネットにUPしたとあるフェスティバルのスライドショーをみていた。
そこには、改憲への大きな一歩が進められたことが
うそなんじゃないか?と思える平和な風景が、、、
見ているうちに「平和憲法」という漢字をつかって
ぬの版画をしたい衝動に駆られた。

たとえば、わかりやすく「平和憲法」という漢字が
Tシャツのデザインに使われていたらダサいって思う人がいると思うけど
今の自分は、そうは思わないし、誇りを持ってそのTシャツを着たいとおもう。

三宅洋平の演説は、実際かっこよかった。
その言葉の形容だけでは軽いものに聞こえてしまうけど、、、
そのかっこよさに、自分がなにをしたらよいのかわからなくなるアーティストもいるとおもう。

ダサいと思われていたことも、
ほんとに大切なものであれば、そんなのもありだね。
というふうに変えていくことも意識の改革であり
自分らしさのひとつでもあるとおもう。

昨日は、手近にあったレディースのカットソーでつくったけど、
今日は、自分用につくります。

1日もはやく、このメッセージがいらなくなる日を今日も祈ります。




































画像は、ひと版ずつ彫りながら試し刷りした紙です。
今回は5版で作りました。
シナモンとカルダモンはハンドパワーで
平和憲法という4文字を浮かせています。
シナモンとカルダモンも、多くのひとにとっての緊急事態に
今までにない能力を発揮したようです。

20160712

くもったメガネの外し方

前回の投稿では、なぜ自分が放射性物質・原発を
気にするようになったかに触れた。

なんでその思いを今に至る30年間もキープしているか
ということを書いてみよう。書く必要あるのかな? w
という気もしますが、、、

これは先月書いた
自分がひとからヒッピーと思われる
思考、言動を持つにいたるはなしでもある。

'94くらい、友人を通してマクロビオティックを知って
その考え方のユニークさにひかれ
当時手に入る、提唱者である桜沢如一の出版物をすべて読み漁った。
いわゆる自然食品を扱うお店やレストラン、
天然酵母のパン屋さんにも通いました。
材料を買って自炊もしました。
まんまとはまったわけです。
そのあたりの文化では、反原発はあたりまえという印象。
原発に関するリアルタイムの情報も聞こえました。
それから、チェンマイに来た'12の1月まで
とても優等生とはいえないけど
そういった文化圏は生活の一部でした。

というのが、30年近く前に「危険な話」を読んだときの気持ちを
キープしていた最大の要因だと思う。

もちろんそれだけでなく、その界隈では
今となってはだいぶ浸透してきたエコロジカルな考え方や商品
ホリスティックな医療に関する情報が普通にありました。
自分としては、そのようなものが一般的になれば
もっと住み良い社会になるのに、というおもいを20年以上前から抱いていた。

90年代当時、マクロビオティックが浸透しているのは
日本ではヒッピー的なライフスタイルの人たちが多かったです。
とくに、地方では。

久司、大森といった指導者もすでに活躍していましたが
自分は、桜沢の本しか読んでないです。
びっくり炊きの危険性や、果物に関する陰性の度合いなど
当時から語られていたことで、修正が必要なこともある。

実際、彼の著作は食べ物のことより
精神性に関するものの方が数的には圧倒的に多いとおもいます。
現在自分がマクロビオティックをとおしてかんじていることは
次のようなことです。

宇宙の全ての事象において
陰性、陽性といった性質があって分類することもできる。
ただし、それは全てが相対的なものであって、絶対的なものではない。
大切なのは、あくまでも中庸をしることであり
経験をとおして各自判断すること。
食を考えることで
自分の体をピュアな状態にし感覚を鋭くすることで宇宙観を身につけよう。
肉体的にも、精神的にも地球も
自分、正確には地球に暮らす全ての生き物のかがみともいえる。
ひとりひとりが変わっていくことでよりよい循環型の社会が作れますよ。

と、いうことだと思っています。
言い回しは違っても、そこに書かれていることかもしれません。
それでも、身を以てこのように感じたのは
マクロビオティックを知ってから17年が経過した時でした。w
ちなみに、自分は'96に東京を引き上げて静岡に戻りました。
その引越しの際、マクロビオティックの本も紛失して

それ以降、桜沢の本も読んでいません。

自然療法的なことをはじめ、植物の力による
肉体の反応というものは、かなり即効性があると思いますが
思想的な部分は、生活の環境が大きいんじゃないかな?

ちなみに、現在は状況によってなんでも食べています。
そこに罪悪感はありません。

最近の自炊に関しては
その土地でその時採れたものをたべることを大切にすること
基本調味料のクオリティーを重視すること
そんな食生活なので、マクロビオティックを実践しているようには見えないと思いますが
やはり、ベースとしては欠かせないものになっています。

20160711

年の功なのか天の導きなのか、もしくわその両方

選挙期間終了。

1 昨年の10月に約1ヶ月間の一時帰国はしているものの
約4年半、日本を離れている身。
日本を捨てた人間と指摘されても否定できない自分がもどかしかった。
三宅洋平の演説や選挙フェスの出演者たちを見ながら
『チェンマイにいる自分にできることはなにか?』を考えていた。

そもそも、なぜチェンマイにいるかといえば
放射性物質による汚染に対するストレスで
いままでのただそこにある自分の生活に支障をきたしたため
海外に生活の場を求めた結果である。

その根っこをたどるなら、
'87に出版された広瀬隆の「危険な話」をリアルタイムで読んだとき
日本で原発事故が起きたら海外に引っ越すことを決めていたからである。

躊躇なく実行に移そうと思えたのは
'08位から、自分のアートの拠点を海外に移したい、ということを
考えていたこともある。

この約半月ほど、考えていたわけだけど、、、
三宅洋平は見事に、音楽と政治を融合させて
自分の目線から言うと、そのクオリティーが高すぎて
なんて自分は非力なんだと感じざるをえない瞬間もしばしばあった。

開票がすんで、一夜明けてからも
なにか、モヤモヤしたものだけが残っていた。
彼が当選できなかったからではない。
なぜならば、彼の活動はこれからも続いていくわけだし
最低でも、寄付金という形でその活動への参加はできる。
でも、それだけでは納得ができない自分がいました。
なにか自分らしい形で表現したかったんだと思う。

今日は、予定どうり昼前から作品の撮影をはじめて夕方には、ひと区切りさせた。
昨日の段階で、ぬの版画の制作もひと区切りついていたので
数日ぶりに、ヘンプで3枚目のタンクトップを作り始めたときにおもいました。

ヘンプのタンクトップを日本に送って必要としている人に着てもらうことも
自分にできること、としてアリだな、と。

ヘンプに関しては、タイムリーに記事が投稿されているので
前回に引き続き、宇宙のマスコミ★ゾノンネット☆を参照してもらうとしよう。

選挙期間中に、ヘンプの生地を購入して
タイに来てから、はじめて衣類として身につけるものを作り始めていた。
日本を離れている理由ともつじつまはあうとおもう。
似たようなことを思った人もいると思うけど
ヘンプの服は、いくらあっても困らないんじゃないかな?
ヘンプに関してはもちろん推進派であるだけに
ひとりよがりにならないように努めたい。
身勝手という人もいるかとは、おもいますが
勝手に、自分らしくある生活を始めてしまっているのでご了承願いたい。

最近、答えを求めて考え事をしていても
結局、答えは足元に転がっていることが多い気がします。
すでに47年も生きてしまったが故の、年の功とも思えるし
天の導きとも思える。

20160709

これだいじ〜

20年来気になっていたこと、『竹内文書』。

なにが書かれいるのかすら知らなくて
インターネットでいろんな情報が検索できる時代が来てからは
ときおり、検索してみてもよくわからなかった。

そこへの探究心は、自分のアート活動への姿勢に比べたらおとるものなので
すでに情報を手にしていた人からしてみれば、
探り方が甘い、というひと言ですんでしまうものであるのだが。。。

その竹内文書にかんして、最近書かれたサイトがあるので
この投稿の最後に、リンクを貼っておきます。
これは自分にとっては、今回の選挙で三宅洋平が立候補して
いまの展開になっていることと、同等の重要度です。

人類がどのようにして誕生したか?
いろんな説がある中、これは !とピンとくるもの
日本ってなんだろう?
天皇って?とか、いろいろ読んではみて
へぇ〜、そうなんだ
日本て、そんなにすごいところなんだ、って思っても
おれ、日本人だし日本をひいき目に見ちゃうじゃん、信じていいのかな?
と思っていたことは、すべて竹内文書に書かれていたことだということがわかった。

日本列島が世界の雛形であるということもその一つで
照らし合わせると、チェンマイが日本でいうと
自分の生まれ育った場所に近いんじゃないかな?とおもえるのもあらためて嬉しい。

そのサイトに書かれていることが竹内文書に書かれていることを
正確に現代の言葉に置き換えることができているのか?とか
竹内文書そのものをどう捉えるか?によって
この情報の活かし方も人によって差があるとは思うけど

一部の人間が世界を支配しているいま
彼らのメッキを剥がすためには本当の歴史を知ることは重要。

この辺りのことに、関心のある人たちには
人気のサイトだと思われるけど
まったく興味のない人たちにも読んでみてほしい。

自分も、覚えられない単語だらけだけど
おおよその流れを知るだけでも、
本来の人間のあり方がみえてきたり
人間として自信を持てるようになると思います。

残念ながら、八咫烏、カバラなど興味深い記事は削除されてますが、、、
今回はしっかりHDDに保存しました。

そのサイトは、ここです
宇宙のマスコミ・ゾノンネット