今でもあると思うけど、テレビ番組を見ていて最後に
「この番組はフィクションです」と映し出されていた。
いまでいう、いわゆる1%ピープルといわれる存在を知り
そこにまつわる話を読み始めたのが10年とすこしくらい前だとおもう。
自分を含む、普通の市民がいかに支配された状況にあるか、
ということを知ることでもあるのだけど
別の見方をすると、世の中にはいろんなワナが仕掛けられている
という見方ができることもわかった。
マクロビオティックを知った20数年前から感じていたことではあったけど
それらを知ることで、より明確になっていくことも多かったです。
時が経つにつれて、見えにくいけど大きな力によるもの
または、背後に大きな力が存在しているように感じるものにたいして
懐疑心を持つことがあたりまえになっていった。
無力感を味わったときもあったけど
なるべくストレスのないように
楽しいことをより楽しくやっていこうと
強く意識するようになっていくことはごく自然の流れだった。
実際の生活の柱となったのは
食に関することと、アートすることだったと思う。
物事にはすべて多面性があるので
いまそこについてまとまった文章にするのはむずかしいとおもうけど、、、
大雑把に感覚的にいうと
食を知ることは、自分の体を知ることであり
それは、宇宙を知ることにつながっていく。
宇宙を知ることは、意識というものの理解を深めること。
そんな風に思っている。
これはヨーガを実践している人も感じることだとおもうし
それら以外にもいろんな道があると思われるので
とくにマクロビオティックを推進しようという思いはありません。
念のため。
もちろん、すべてをわかったと思っているわけでもないです。
自分のペースで感じてきたことが自分なりにあって
実際の生活に役立つこともあれば
さらなるイマジネーションを求められることもある。
ここ数日、とくに一昨日から大きな力によってもたらされている
ひとつの現実社会というものにリアリティを感じなくなってしまった。w
明らかに自分がイメージするものと
対極のことばかりを押し付けようとするからだとおもうけど、、、
仮にテレビで普通にニュースを見ているとした場合
ニュースの最後に「この番組はフィクションです」と
映し出されてちょうどいいレベルに思う。
一方、意識レベルでおきていること、感じることにはリアリティが増したともいえる。
現実逃避という見方をするひともいるかもしれないけど
こっちは、完全なる現実とも言える、少なくとも自分の中では。
意識とか感覚的なことはカタチのない生き物ともいえると思うので
たとえば一週間後どのように変わっているかさえ読めませんが。。。
いまの自分がそのように感じているままを書いてみました。w
これからの時代、自分の宇宙つまり自分の場というものは
自分で開拓していかなければならないのだな、と強く思う
2016年の時間を外した日がはじまりました。