20150622

Get Free

どういう経路でたどり着いたのか自分でも覚えていないけど
最近気に入った曲  Major Razor の Get Free

YOUTUBE や SOUNDCLOUDをみると
いわゆるクリエイターから無名の人まで、様々な人がRemixやCoverをしている

あまりにもヴァリエーションがあるので
逆に客観的に聴きやすい、という気もするのだが、、、
歌詞に関してはことばをそのままうけいれる
さらにその裏の意味まで考えれば、どうでもよいことに思う
おそらく世界中の人がこのちょっと切ないメロディーにやられたんだとおもう

完成度で言えば最後まで聞けなかったものもたくさんあるけど w w
ジャングル、ドラムンベース、2ステップ、4つ打ち、はもちろん
JamaicaでいうDJスタイル、アコースティックセットに
弾き語り、ウクレレ、ピアノ、ブラスバンド、、、と

わずか一年足らずで、ここまで愛されている楽曲って
そうないんじゃないか?
というくらい

昨日は、そのうちのいくつかをDLして一日中聞いていた
作業をしながら、、、
あたりまえのことだけど
愛の表現はひとそれぞれなんだな、と
あらためて感じた
ときには誤解を招くこともある
それは、それぞれの先入観が生み出すのかな?
とくに個人と個人、つまり一対一の場合は、
それぞれがうまく共鳴するかどうかに、かかっているようにもみえる
この共鳴というのも、コントロールしたり、されたりするものでもなく
資質とタイミングによるところが大きいのでは?とかんじる

わずか2~3週間で、自分の中でいままでにない変化が起きているとかんじる
この20年の間に、そんな自分をイメージしたタイミングは何度となくあったけど
その一歩は踏み出さないでいた、というか踏み出せないなにかがあったのだと思う
それは、自分の中の迷いなのか、しがらみによるものなのか


追い込んだのか、追い込まれたのか、

そのどちらでもなく単純にタイミングによるものなのか
なにかに導かれたのか、あるいはそのすべてなのか?
自分でもわからない

いえるのは、心がそちらに向いているということ
自分の心なんて意外とわからないものだ
そんな、わからないことだらけのなかでも
今日も自分はいきている、、、いきいきと


そんな自分のことは置いといて、
最近思うこと
いまはコンピューターで音楽のデータを再生して音楽を聴くのが一般的になったけど
同じデータでも、聴く環境によってぜんぜん違う、ということ
一昔前なら環境といえば、

オーディオのシステムやセッティングのことをいっていたと思うけど
現状、アプリケーションによってもぜんぜん違う

ネット上の音源を、あるサイトで聞いてDLしてみる
自分のPCのiTunesで再生してもすでに違って聞こえるし
同じデータを自分のPCの、たとえば波形編集のアプリケーションで再生しても
全く別物に聞こえる
イコライザが付いているアプリケーションであれば

ある程度近づけることはできても、第一印象は変えられない

そういう意味では、作者の表現がどこまで伝わるかさえも
リスナーの知識や技量にかかっているのかな?おかしなはなしだ
アナログの時代も、それぞれのオーディオの環境によって
おなじ音源でも違って聞こえていたのはおなじなんだけど、、、

画像などの眼から入る情報も機材の種類や設定など、環境によって

印刷物であれば、印刷の技術とそのクオリティーによって、
どう見えるかが違うのは同じだけど
眼から入るものは、原画ではない
ということをわかって見ているからまだマシな気がする

ということが、とても気になる今日この頃です

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あとでわかったこと
Major Razor って、この音楽のプロジェクトに基づいた
アメリカのテレビアニメシリーズとのこと