20160629

自分用カレンダーと I am an Artist rather than a Hippie.



今年はカレンダーをゲットできていないまま前半戦が終了しようとしていた。
以前、このブログでも書いたけど
今の生活の流れでいう自分の年度は4月頭で明けるので
3ヶ月経過といったところだけど、ふとカレンダーが欲しくなってサクッと作ってみた。

A4を2枚で1ページ
さすがに数字だけでは寂しいのでSigenosukeロゴを一番上にいれて。
4枚並べると、ちょっと恥ずかしいね。 w
周囲との兼ね合いのため、グレゴリウス暦で生活はしているものの
それに縛られたくない、という感覚もあるので
グレゴリウス暦の月で区切らずに紙を無駄なくつかおうとしたところ6週間で1枚になった。

今週の月曜日、'16の6月26日から始まるカレンダー。
のこり約4.5ページで2016年は終わるカレンダー。
のんびりしている時間がない気がして、いいかんじ。w
まわりからどう見られているかは別として
自分としては、のんびり生活しているつもりはないのだけど。。。

特にここ2、3ヶ月はけっこうやりたいことをやり放題なかんじなので
自分としてはかなりいいかんじなのだけど、
やりたいことがたくさんあるので、のんびりしている暇はない。

先週、ヒッピーの先輩と話をしていて
なにをそんなにやることがあるのか不思議に思われていることが判った。w
その先輩だけでなく、自分のことをそのように思っている人達がある程度存在するようだ。
ちょうど2週間前の投稿で"I am a Hippie"と、いってはみたものの
やはり自分は、王道を行くヒッピーのあり方とはずれているのかな?とおもいました。

ヒッピーでアート活動をしている人の多くは
ベーシックな生活のリズムがあって、その中にアートの活動もあるんだな、と話をしていて感じた。
言い方を変えれば、ヒッピーは生活全体がアート。
これはこれで、自分の目線でいうとクオリティーの高いヒッピーなわけで
ヒッピーの多様性を認めた上でいうと、すべてのヒッピーに当てはまるわけではないとも思う。
なぞの上から目線( 最近の流行語 )でいっちゃてるかな?
そう聞こえたら失礼。

自分にヒッピーの多様性に気づかせてくれたのは南正人氏である。
ナミさんは、自分の中では元祖、日本のヒッピーといえる人物。
彼は、ミュージシャンになりたかったわけではない、といっている。
あくまでも、ヒッピーになりたくてヒッピーをやっている、わけで
いまでも、厳密に言えば自分のことをミュージシャンとは思ってはいない、
という方が正確なようだ。。。

一方、自分はヒッピーである前に、アーティストでありたいとおもっている。
「お前はヒッピーか?」と問われたら「ヒッピーです」と答えてもいいと思うようになった、
といったっところ、まぁ、相手にもよるところが大きいともいえるのだが。。。
これって執着なのかな?

自分の理想の生活として「より自然に近い場所でちいさな畑で
自分と、今はいないけど家族が食べる分の野菜を作って」ということはあるけど
あくまでも、いまでいえば「ぬの版画」の製作を生活のリズムの基調として、と考えている。

きょうも、とりとめのない話をかいてしまった。w

まずは自作のカレンダーに新月と満月を書き込もう。